音楽と私
ピアノって本当にいろいろなことができて実に便利でたのしい楽器ですね。
両手を使うから様々な音楽にトライできる。音の幅は広がり表現の可能性も広がる…
時として騒音として嫌がれることもありますが、身近で触ったことのない方が珍しいといえるでしょう。
が、昭和の時代のようにほぼ一家に一台とはゆかなくなりましたね。
どこの子供もみな楽譜バッグをさげてお稽古に行くといった姿もあまり見られなくなってしまいました。
お稽古の定番は英語と水泳。
今の大人は?といえば、ちょっとなら弾ける人が増えたせいか、関心度が低くなったように思えます。
いっとき、ジャズピアノがモテた時期がありました。でもあのジャンルは個人レッスンが必要な分野で、50人100人が集まる講座、しかも単発ではほとんど何も伝えられないものでした。
言葉で表すには難しいことがたくさんあって、目の前で弾いてもらった上でのチェックが必須だからです。
ポピュラーと一口で言っても、以前と違って意味する音楽の幅は広く、注意すべきは、まず歌詞がついているものが殆どであること、それがラップであったり、同じモチーフの繰り返しであったり、ダンスのための音楽であったりする=ピアノ向きでないもの=になっていることです。
ピアノ音楽として楽しむにはやはり何か演奏者本人がのめりこめる要素がなければ…と思います。それがメロディでも心地よいリズムでもサウンドでも。元の歌詞から広がるイメージストーリーを描いてもよいでしょう。
<こころふるえたお話>
♦︎ターナー展
さまざまな思い出がよみがえってきた!
いつだったか、「ロンドンでのレコーディングってどんなだったんですか?」とCD購入いただいた方から尋ねられて、そういえばほとんどこのことには触れてないか、と気が付いた。
口に出してしまうと、なんだかその幸せ感が宙に消えてしまいそうで、あまりお話もしなかったような気がします。
ずいぶん前のことであっても、その光景を思い出すと胸がきゅ~んとなる・・・
チェリストのアンドリュー…ウエーブしたブロンズ色の髪、顔だちが甘くローマっぽくて…(ムふふ)私のいけないクセですが、すてきな音楽する素敵な人にはすぐメロメロ、恋する乙女の態…
ま、それはともかく、木漏れ日がさざめくような、絹糸の束が風にほぐれてそよぐかのようなストリングス…ほとんどがロンドンフィルのメンバー…上品であたたかい音に包まれて、それはそれは最高にしあわせ=アルバム「Longing」録音。
既成曲は1曲のみであとは皆私の書き下ろしオリジナル。曲想など英語でどう説明しようかなどと考えて行ったのに、それは全くよけいな心配でした。何も説明しないのに、それも1回のリハで私の思い描く音楽になって表れてくる…これには体中ふるえたもの。
おまけに5弦ベースのずう~ん!という最低音Cやら、摩天楼の灯りに溶け込むような最高に艶っぽいアンディのサックス。
コンダクターとspecial arrangeはジェレミー ラボック。
なんといってもオリジナル曲なので棒も誰でもいいというわけにはゆかないと思い、頭に浮かんだのが映画音楽の巨匠のこの人。幸い引き受けてくれたものの、当初予定のアメリカが彼の都合でロンドンになってしまった。アメリカにはオケ同時録音可能な条件を備えたスタジオが限られていて、日程的にも合わなかったこともあって急きょ変更となったのです。
アコースティックな音楽をいい音で録音するにはそれなりの条件を備えた場所が必要ですからいたしかたなし。よくよく考えてみると、思い描いていた自分のオリジナル曲は、アメリカよりもむしろイギリスのほうがフィットしそう…ヒコーキ乗れば同じだしイギリスなら終わったら少し観光でもしよう…などと思い、緊張しながらも出かけたわけでした。
ケンジントン宮殿近くのホテルへ着いてすぐ、ラボック巨匠はロスから本当にちゃんと来てくれるのか心配でフロントに尋ねてみたら、私より前にチェックイン済みだった。
“ほっ” と胸をなでおろして打ち合わせの時間までケンジントンパークを散歩。
9月半ばのロンドンは夏。碧い空、陽射しも豊か。豊かな緑の芝生に置かれた古い木のベンチではお上品な老婦人がバスケットをひろげて編み物をしている。茂みでかさかさっと音がして目をやるとリスが…
ほんの少しの時間ではありましたが余分な音のない空間に浸ることで全身クリーンアップされたような感じで打ち合わせを兼ねた夕食タイム。ジェレミーがレストランに案内してくれて、なんとご馳走までしてくれました。
翌朝ロンドンタクシー(あの黒いの)でスタジオへ。2日間の録音。
少し離れたところに大きなWembley の文字が見えていたのですが、今思えばそれはサッカーで有名なスタジアムの看板だったみたい。
結果的にはロンドンで大正解。アンドリューにも会えたし・・・ネ
そういう時こそ勇気ふるって 「お食事でも・・・?」 とでも言えばいいんだが、私にゃどーもそれができないのだわね。
で、写真だけ撮ってきた。
♦
ヨーロッパ旅行はしても、それまでイギリスという国へ行ったことがなかった私。
訪れる季節で印象は大きく違うものですが、2回目の録音は1月。
暗さとロンドンの街に漂う重厚さをしみじみと感じてきました。
夏に目にした、たくさんのイギリス色は…はじめに散歩したケンジントンパークではまず実に微妙なグリーン色を発見。それから微妙なピンク、赤、パープル…木々の葉から草花、編み物の毛糸の色までみな味わい深い色合いだった。
“くすんだ”というか“独特の発色”というか、つまりカリフォルニアやイタリアの色とは全く違った微妙な色。マットな深緑、浅黄色のような若草色、グレイッシュグリーン、今でこそ日本でも普通に鉢の寄せ植えなどで見かけるようになりましたが、白に近いグリーン。
湖水地方への途中で目にしたのは、深紅からヨーグルトがかったパープル、深い紫がかったピンク、など実に落ち着いた風情。無造作にまとめて植えられていてもそれぞれの色が互いに邪魔することもない。…で、思った。“ああ…だからセーターにしても絵葉書にしてもあの色合いになるんだわ”
日が沈む前、湖面がいぶし金にさざめく中を白鳥がスーっと行く…ほとりには数羽のカモと朽ち果てそうな木製ボート。ごく控えめにポチャという小波の音を聞きながらぼーっと遠くを眺めているとワーズワースやシェイクスピアの時代への郷愁めいた感覚がやってきた。道々辿ってきた低めの石垣の道や、やわらかな起伏の丘に放たれている羊たち、北にあるだろう険しい山々…
1月の録音も2日間。すがすがしい緊張感で終了。アンドリューはいなかったけど。
小旅行なし、翌日しっとり気分で街へ。
冬、雨天の下、目に入るのはいかにも伝統的と思える建造物群と深い緑の木立。ほっとするのは暖か色の街灯り。タクシーに番地を告げ大手広告代理店支社に知り合いを訪ねましたが、さすがロンドンタクシー!この時もひとつも迷うことなく一発でビル正面に到着。
メインストリートから少し入ったところに立ち並ぶオフィスビルの外観は重厚そのもの。脇の並木は濡れた暗緑色の葉に黒い幹。まさに昔からのイギリスのイメージぴったし。
中ももちろん落ち着いた空気感が漂い、お会いした人物も日本で言うところの業界人的イメージではなく、ロンドンの佇まいにぴったりはまっているという感じ。
無駄のない動きといい如才のなさといい、これはもともとの資質?それとも環境?などと思ってしまったほど。
帰り道、デュプレのビデオとスコットランドの古地図を買った。
さて録音の方はといえば、残りの曲はピアノを減らしたくなり=ラボック巨匠に、「前よりピアノ弾かないね」と言われてしまいましたが、ピアノよりオケの方が表現できそうに思った=またコンテンポラリー的作品は統一感を損なうため没にすることにしました。これはきっと夏に体験したあらゆる意味での“イギリスの空気”が私をそうさせたのでしょう。
「Adagio」はかなり感傷的な気分で書いたことを覚えています。
音楽はもちろんDiskに残っているわけですが、風景と同じで、やはりその場の空気を伝って来る感覚はそのときだけのもの。生きた音というのはまさに特別、そこに身を置いている者にしか味わえない感動があって、これこそがやめられない理由であります。
気がつけば、また次の感動の機会をさがしている・・・・・・・
もう一度イギリスへ行くなら次は春にしてみようか…いや、やっぱ夏がいいな!
<音へのこだわり>
8月に妹がB.バカラックを聴きに行ってきたそうな。
「だってもう84歳だもの、もうこれが最後かもしれないから・・・」と。
「初めて聴きに行ったのは40年も前で、こども心にも、オーケストラとの来日だったのをはっきり覚えている! 今回そりゃおじいちゃまになってたけど、でもピアノもしっかり弾いてたよ」
興奮して語るのを聞いているうちに、私のアタマの中をたくさんの彼のメロディが駆け巡る・・・中で私が忘れられないのは、彼自身の声による「House is not a home」・・・
いや~ハスキーでせつなくて(歌詞も含めて)
歌詞はうろ覚えだが、♪イスは座る人がいなくては椅子じゃない、家は人がいなけりゃウチじゃない---♪ たしかこんな歌い出しだった。
その数日前の新聞で、名コンビだった作詞家のハル・デイビットの訃報を知ったばかり。
今回のステージでもやはり「Alfie」とこの曲はバカラック自身が歌ったそうだ。
きっと何か特別な想いとこだわりがあるのだろうな・・・
ウ~ン84歳か・・・来年こそは私も聴きに行きたい。
仕事の度に、強烈な音へのこだわりを感じさせる大先輩が8月にこの世を去った。
生のステージでも録音でもフルエネルギー-----自身のスコア、自身の音にとことんこだわり、棒(指揮)でいかに音楽としての命を吹き込むか----エンタテイメントの世界であっても、“適当”とか“いいかげん”はこの人には一切無し----南 安雄氏。
この音楽家との数多くの演奏を通して私は、フレーズの意味、響き合う楽器の色彩感から躍動感、立体感まで、音の魅力をたくさん学んだ。
NHK放送文化賞受賞されたお祝いを、と思っていた矢先のことだった。
後日、私のピアノと耳を信頼してくださっていたと聞き、少しはお役に立てていたかとホッとしながらも、もう2度と一緒に音楽できない寂しさを痛感。
9月末 “文学キャバレ『黒猫』から生まれた音楽”(浜離宮朝日ホール)というコンサートに行って来た。サティ、シャブリエも聴ける=とくにシャブリエの連弾曲を聴きたかったのと[企画/演奏 青柳いづみこ] に魅かれてのことだ。以前、青柳氏著『ピアニストが見たピアニスト』をHPで紹介したのも、読んでいて手に取るように光景が伝わってきたからである。音楽をあれだけ見事に言葉で表すには、そうとうの“音へのこだわり”なくしてはできない仕事である、
1部はドビュッシー前奏曲集(第2巻)。音の風景に酔いながらもフランス独特の一種“危険な香り”の渦へ引き込まれていった。 -----が、しばらくしてmmm-----!
チケットを取る時、前列を勧められながらも私はお行儀が悪くしょっちゅう動くので遠慮して後ろの席にしたのだが、やはりかぶりつきにしておけばよかった、と後悔することに。
響きが綿飴のように漂っている中、醤油がこげつくようなノイズ=私の斜め前のおじ様のイビキが。たしか始まってまだ10分も経っていなかったような・・・
このおじ様は1部だけでお帰りになったのでヤレヤレほっとしたものだが、そもそも初めから座席についてもっとこだわって選ぶべきだった。遠慮などせずに・・・
<オケ、大好き>
昼リハ夜本番という仕事が続いて首が悲鳴を上げた。
背筋が重要なピアノ、昔は何とも思わなかったのに最近では1時間以上座りっぱなしでいることがつらいこと。これからまだチョコチョコあるというのに・・・
ひとには「運動よ、運動!」とか言いながら、歩けば腰にくるし・・・情けないったらありゃしない。でもそんな中、ワグナーとブルックナーを聴きに行ってきた。
久しぶりに客席で聴くオーケストラ、残席わずかという状況ながらもしつこくねばって2回の左前方席を手に入れ夢見気分で到着した私の目にいきなり飛び込んできたのは、なんと2台の車!ホールエントランス前2か所に分けてライトアップされたぴっかぴかのBMW。気品のある色の大きな車が、まさにセレブな光を放っていた。
さすがミュンヘン名門オケだわい!
対する私は、バスで出かけ開演前のわずかな時間にホワイエでサンドイッチをかっ食らって----なんだかみじめっぽい気分になってきたものだ。
とは言え、オケが登場してしまえばそんな気分はあっという間にどこかへすっ飛んでしまってウフフ・・・の世界。
背中が痛くなって途中で何回もゴソゴソ座り直したものの、浸りこんで、空間に浮かんで-----やっぱり生オケはいいなあ!
熱狂的ファンの「ロリン!ローリン!」の掛け声(指揮ロリン マゼール)さえなければそのままもっと余韻を楽しめただろうに・・・
その後しばらくしてまた嬉しい機会に巡り合った。
久しぶりのN響(これはテレビでの話だが)によるクラシックコンサート。
ふとチェロセクションの大好きな音に誘われ画面を見る。
“あれは~あの弓の持ち方は、運びは~あの人に違いないんだが~?“と、カメラが引いてくれるのが待ちきれない----そのうちこっちの期待に背いて指揮者アップになってしまったり-----そのうちやっと“あの人”がやはり木越さんであったことがわかって大喜び。
「N響アワー」がなくなってからというものずっとご無沙汰してしまっていたので、番組復活ということなら、これまた嬉しいのだが。
その日のコンサートは趣向を凝らしたプログラムで、中に“日本初演”の演目があった。
指揮者がイギリス人ということもあってか、イギリス作曲家アデスの作品。
オペラからピックアップして演奏会用組曲「ダンス」となったとか。こりゃメンバー個々の練習からして大変だったろうなと感じ入りながら、とても興味深く聴いた。
音の構造的にもかなりおもしろかったことを書いておきたい。