日々思う
♪嬉しいことあり!
私の大好きな音がよみがえりました。
この音が聞けるのはおそらく我が家とあと数軒に限られることでしょう。
心にクイーンと沁みる、ある時は大きなスケール感に熱っぽく包まれる、
決してヒステリックではなく深いサウンド…
もともと希少な楽器ではありますが、近年の音楽のデジタル指向に影響を受けためか、
たまにお目にかかることがあってもその音質自体はかなり変わってしまっている…
ハモンドオルガンの話。
ほんとに久しぶりに技術の方にお願いをして、
5時間かけて修理調整をしていただいたというわけです。
うん!いい音!
さすが!の楽器です。 Yuri
「一つの音のタッチを変えてみるとそれにつながる音も自然に変わりたがって来る。音が次の音を誘い、また次へ連なり・・・強さ、長さ、音組み、それらが相まって“音”が色彩を帯び“調べ”となって漂い始める・・・」
時として急に舞い降りて心にしみる音色(ねいろ)達は私の感覚に取り込まれ、何才(いくつ)になっても忘れること無く、常に自分のどこかに寄り添っているのを感じる。
ふと思い出す弦の音には涙があふれる。
その、風の中をやって来る“音の波”こそ私が愛するもの。
幼い時から甘えることを知らず、ただ親の愛を求め、笑顔が下手なまま大人の世界へ。
それでも手を差し伸べてくれた方達のおかげで、何とか自分の道を見つけ課せられた役割を果たすことができたように思う。
音楽してきた、これが私のすべて。
・・・
久しぶりに心震えた、というより吸い込まれて行ってしまった。
バチカンからの映像「ピエタ」。写真では絶対わからないその像のすごさ。ミケランジェロ。キラキラ輝く大理石に刻まれたマリアとイエス。美しいとしか言いようのないその像は私の眼を画面にくぎ付けにした
・・・
“ピアノ大好き、でもオーケストラの方がもっと好き私の“本音”はここにある。
ポップスの仕事でもオケとのお仕事は結構あって楽しかったものだ。
ずっと遠ざけていたピアノ、そろそろ復帰せねば。
・・・
駆け出しの頃、スイと横へ滑らせればすぐ半音転調できるギターがうらやましかった。
何しろ弾くのがピアノ曲でない場合の方が多いので、イやなキイばかり出てくる。
DやA、歌が絡んでくるとD♭やA♭。どうせならもう半音ずらしてくれりゃいいのに!
・・・
不思議なものでギターと共演が多くなるとシャープキイの方が明るくて気持ちよくなってくる。
フラット系キイが弾きにくくなっていることに気づく。
・・・
♭たくさんのキイは大概の人が避けるか、苦手だという。
いつもみんなに「慣れよ慣れ!」と言っている。
どうして♭キイがそれほど苦手なのだろう?あんなに上手に「猫ふんじゃった」は弾けるのに。
・・・
「なんでもドレミで弾いてボタン一つでキイが変わればいいのに----」
「何をバカな!何処でもドアじゃないんだからね」
現代の子供は、こんなことをこともなげに言ってのける。
音感ってどこへ行ってしまっているのだろう?
だいいち気持ち悪くて弾けたもんじゃない
町の野草も色を増し、歩道にも公演にも潤いが感じられる季節。この緑と苔の緑はたまらなくこの乾いた胸をしっとりさせてくれる。
雨上がりの朝も何やらうれしい気分。
京都にお住まいの方がうらやましい、西芳寺苔寺へいきたくなるから。
ビロードのような冷たい苔の絨毯、もしかしたらカラフルな花花より美しい。
見つけてしまったのだ、家のちかくで。苔の販売をしているお店を。
それはみずみずしい、なんとかという種類の苔なのだが高かったがめげずにgetしてきた。
これも大好きなハリネズミの器に入れてお背中もっこり、ただ眺めるるだけでウフフ------
・・・
カサッ、深夜軽くて乾燥した音がすると、あ、家のハナミズキだ、となる。
年々咲くのも早いが枯れ始めるのが早い。イチョウや大きな葉はそんなに早く枯れはしない。
先を競って枯れてゆくようなこのカサッは寂しい。
・・・
指の選択=使い方=でずいぶん表情は変わる。
ちょっとした飾りの16分や32分音符、どうやってこなしているのかタイヘン興味がある。
ひとこと「こっちにしたら?」で全く温度感が変わる。
3からはじめるからいけないので、4からにしたほうがずっと美しい。
本人も「ああ----」納得したようだ。
・・・
ほわっと優しい音で弾いてくれる人がいる。
急に私はリクエストしたくなった。
「ほかの弾いてくれる?」「バッハじゃなくて」
何を急に、と生徒さんはめんくらっていたみたいだが、正解。
この人はバッハ弾かない方がいい、と思ってしまったのだ。
もしバッハを続けたいとしたら、ん~、全く別の数独でも読んで、少し頭を切り替えてからの方がよさそう。表現に一方向しかないというのはもったいない。
・・・
チャイコを弾いたあとにいきなりjazzを聴かされて、目が覚めた。
思わず口をついて出たのが
「ずいぶんとちがったじゃない!?」
うっとりからジャイブされたようなものでついて行けなかった。
音を間違えたという意味ではない。
・・・
ピアノで中級くらいになると左手がモノを言うようになる、右手ももちろん細かい動きが出てきたりはするが、何といっても左手の動きが“深さ”“幅“を広げてくれる。「どうしてもここが・・・」
毎回同じ言葉が口をついて出てくる。そこには“どうしましょ?”の問いかけが含まれている。
テクニック的にはけして手の出ないような難しいフレーズではない。よ~く見ていると不精をするがために手の返しができていないのがわかる。憶えていないのもわかる。だれだって、動きの難しいところなど譜面に目が行っていては手はミスる。不安は分かるが。それではいつまでたってもクリアできない。
大人だし自ら気が付いているだろうと黙って見ているが、3か月経っても変わらないなので、言った。
「憶えてないでしょ!そりゃあ無理ってもんです。」
次のレッスン、そこだけはクリアできるようになっていた。同様の難所はほかにもあるが、そこはまだ崖の上。いつ転げ落ちてもおかしくない。
「ほら、できるじゃない。」
「はい、ここだけは何とか覚えたんで」
はてさて、まだ先は長いか------- ?
・・・
いつも話だけはしているのだが仲間内でシューマンを弾く人が少ない。
とくにツエルニーくらいのスタディ段階でシューマンをやっているとはあまり聞かない
内声部に現れるポリフォ二ー的響きは美しく、伴奏部が静かに和音を呈しているといったつくりはあまり見えない。ポップやジャズのサウンドは既にここにあると思う。
・・・
ピアノって打楽器というより弦楽器のような気がするのは私くらいなものなのか?
ツエルニーは皆が通る道だった。モーツアルトも。シューマンは?そしてみんなの嫌いなハノン。
時代の動きを反映しているブルグミュラー的な曲集としては、バーナムやギロックもあるが、やはり打楽器的に思ってしまう。縦割りでないいくつもの船が横に流れているものを学びたいと思うのだが。
無いなら、えい!書いてしまえっ。
・・・
アタマが、音感が鈍ってくると、ちょっとでも違うピッチの楽器の音が気持ち悪く低く聞こえる。
アタマの中での反響が澄んだ音にならず、アンバランスに聞こえる。
・・・
すれ違いざまに“ちっちゃかいの”が足元にまとわりついてきた。
“かわいい”ポメだなこれ。
私はといえば時折“猫的ツンデレ”をみせる柴犬が好き。
たまらなくかわいい!ぶきっちょな甘え方や、弾力ある筋肉、鼻突合せで話ができそうな顔、
ああたまらない・・・んんん~思い出しちまった!
・・・
「小犬のワルツ」の出のところ、いかにも小犬がくるくる回っているようで------
おなじ短いフレーズの繰り返しがちょこっと前奏に使われている。慣れ切った私は気分の方が先へ行ってしまって、その“チロチロ“を弾きだしたら止まらなくなっておそらく倍の長さは弾いたと思う
・・・
コードネームってDoとか書かないんですか?
Lemin.なんてのもありますよ。イタリアの楽譜にはね。
・・・
スラーはlegato奏を指示しているとは限らない。フレーズを表している場合だってある。
分からないときは声を出して歌ってみるのがいい。
忘れもしない中学の音楽の先生は専攻が声楽だったので教えるときは何につけ歌いこむこと歌いこむこと!♪ラリ~ラーリ~と胸を張って歌っていた。もちろんありがたいことでした。
・・・
黒鍵に抵抗を示す人がほとんど、という中で、黒鍵から始めると慣れるのが早いことに気が付いた
みんながみんなハ長調から始める必要はないのだから。
・・・
名画「ひまわり」知っているようで知っていない。観たことはあるがどれだかわからない。
6枚もあるのだもの。が、実は7枚あったと知った。そのうちの1枚は日本にあって戦災で焼失されたそうだ。写真が残っていた。燃えるような色、花瓶から飛び出してきたようなひまわりーこの1枚を私は最も観たい!
・・・
「フェイクした方が良いと思うけど」-きれいな演奏に感想を述べた。
「・・・?」の表情。
「そのままじゃなくて・・・」
でも演奏は変わらなかった。
“フェイク”は通じなかったのね。
トランプのせいだわ!あまりしょっちゅう“フェイクフェイク”ばっかり言うからー
・・・
タヒチの海を独り占めした写真がある。青い、広い海にいるのは私だけ!
30年前の写真である。
モダンタヒチアンがかすかに聞こえ、あとは波の音と潮風の香ばかり。
当分平城山の気分には戻れなかったっけ
・・・
鍵盤の上に覆いかぶさるようにして弾く人がいる、こういう人は歩くときも前かがみ、というか顎が少し前へ出る。日本人の場合特に両肩も前へ傾いでいる。
かと思うと反対に驚くほど姿勢の良い、背中に一枚板が入っているのではないかと思わせるような人がいたりする。自分は子供のころから猫背だから何も言えた立場ではないが、西洋人男性でちょうどいい肉付きのちょうどいい姿勢のピアニストっているんですよね。名前は出しませんけど。音楽はもちろんだがそのほれぼれする演奏姿!適度な揺れ、適度な表情の動きおおいかぶさるなんてことはなく、かといって天井を仰ぐこともしない、いやぁ素敵だわ---------だれだかわかるでしょ?
・・・
大事な楽器ならピアノの中に鉛筆やら消しゴムを転がし入れないこと
・・・
鉛筆、いつから4Bが普通になったの?
・・・
黒鍵は5つで白より少ないのにどうして難しいの?
数の多さだけの問題ではなくて、そこにはスケールの重要性在り。
どのスケールもなめらかに経過してゆくにはどうしても黒鍵の音を必要とするのです。
人間の5本指のかたちは扇形に広がっているのでそのカーブに沿った弾き方をするのが自然。
白から黒へ上るより、黒から白へ落ちる方がラクでしょう。指順もそれを考えて組むと弾きやすく
なり黒の存在の意味がなっとくできるはずです。
・・・
早いフレーズをかっこよく弾きたい
どうぞ弾いてください!かっこよくね。
トリラ―でもスケールでも美しくかろやかに。練習あるのみです。
それとは別に重厚な音、深い響きも出る様これも練習しましょう。
・・・
“いっちにいさんしー”というカウントでやってきた人はペダルも“いっち”で踏んでいる
・・・
コロナのせいで“おうちのピアニスト”はたくさん増えますね
・・・
近所に声楽家がいる。この人の練習しているところは見たことがない。声だけだ。
さてどんな顔になっているだろう? 佐藤しのぶさん島田裕子さんら女声との練習が多かったが、いかに体を使っているか、つまり体全体を共鳴箱にしているかがわかる。お腹は当然ながら背中、そして頬骨。頬骨をぐっと上げて、脳天に声をぶつけるのだそうだ。そして体全体に響かせる-----
ご近所さんも若いわりに深みのある声でけっして不快ではない。名のある人で高い声が出る人でも平べったくてキーンという声質の場合、どちらかというと逃げ出したくなる私。日本人の声そのものが決して奥行きのある丸い声ではないと私は思うのだが、ご近所さんもこれから歳を重ね、深みを増してゆき素晴らしい声楽家になることを願う。
・・・
朝窓を開けるようになったら、時折“ぐるるる、ぐるぐる”と聞こえてくる。1年ぶり。
なかなか穏やかな初夏の光景だわいな-----また来たのね-----ものまねカラスの仕業。
・・・
オクターヴが届くまで
・親指の先と小指の先が鍵盤に届くようになる
・両方で鍵盤を触れられるようになる
・第一関節で引っ掛けられるようになる
・何となく2音を鳴らせるようになる
・ゆっくりでなく上から打ち下ろすことで少しでも音がなるようにする
・はっきりと2音を鳴らすことができる-----------ここまでに成長する時間が要ります
・同時に親指と薬指で遠くまで届くよう練習
・完全にオクターヴ2音を同時に打鍵できるようになる
・焦らず毎日両手の開き具合に注意しながら練習を繰り返す
・・・
手を開いて行く練習はアスリートのようなつもりで折に触れて務めることが必要。
デリケートな場所であるから、無理せずにゆっくりと努めること
手先だけに集中するのではなく首、肩 肘、背中 と順次和らげてほぐしてから行うこと。
肩など後ろへ神経を持って行くように。まえで固まっていてはいけない。
・・・
息を止めて力んで弾かないこと。これも体を壊します。
おおらかに大きなうねりの中で弾いている感覚をもちましょう。
・・・
機械的同じ速度ならスムースなアクセル・ブレーキも身につけましょう。
・・・
無理でない程度に大小の音の使い分けを練習する
ショック!パニック! 低域を生かして振動やうねり、そして広域のショック!
いつも同じ程度の音量で弾いていることに気が付かなくなっていることが多いです
自分の音量の幅を知ること。自由に使い分けができること
大きい音は出せても柔らかい小さい音が出ない、とよく言います。
・・・
フレーズをひきながらこの調節ができることで、うねりや流れが演出できるようになります。
がんばりましょう。
・・・
「いいんじゃな~い?」
弾き終わるといつも必ずこう言うので有名な先生がいるそうだ
レッスンで先生に何を言われるか?びくびくしている生徒は多い。
これは今日の演奏を認めてもらえたかどうか?練習の成果の良しあしが評価される一瞬で、生徒にとっては緊張も緊張、そこにお母さんが一緒にいようものなら、胃が痛くなるようなときのはず。
「いいですね」あるいは「よくできました」の桜マークが欲しいところだ。
この良いとも悪いともつかない感想の言葉は罪作りだ。褒められたと受け取る人もあれば、どうせ評価に値しない程度なのだと受け止める人もいる。先生になんら「感」を与えていない単なる雑音でしかなかった、と言っているようなものだ。ならいっそのこと「特に何も感じなかった」と言った方が親切だと思いません?
・・・
褒めて育てることこそ最良の道=勉強もおけいこも
さて、これはいかがなものでしょう?
褒められるのは気分がいいし、一層の励みにもなるでしょう。
いいところはどこか?なぜ褒められているか?が本人にわかるように褒めなくてはダメです。
・・・
「打鍵のスピードがねえ~」と言ったら、
「え?叩いていいんで?」
・・・
大人の、しかもピアノの先生が
両手ともしっかり同じ力で。力が違っちゃいけませんよ。特に左手は弱いんですから-----
・・・
誰でも歌い踊り、若い子たちはそこに生きがいを見出す=昔ではない、今の日本の若い子たちの話である。おとなが楽しむ場は劇場に出かけなくては得られない。テレビは90%こどものもの。
化学でも歴史でも音楽でも知りたい聴きたいものは山ほどあるのに。
・・・
母の時代、「~のブルース」という題名をよく耳にしたように思う。
漠然と、ブルースというのはゆっくりなテンポであちゃらの音楽のことをいうのだと思っていた。
成長してもなにか物憂い心持を歌うアメリカ人の曲のようだ、くらいしかわからなかった。
黒人霊歌も含みあらゆる歌や祈りに反映されたブルース、ロカビリー、ロック、
プレスリーもビートルズもここから、ゴスペルR&Bだって、ソウルミュージックも原点はみな祈り、ここブルースにある。その意味では邦題につくブルースはちょっとちがうような。
今われらが演奏する場合はブルーノートを含むアドリブフレーズによるリズムメインの演奏ナンバーを言うのだが。ジャズが日本へはいってきたのは明治から大正、社交ダンスブームの頃。トランぺッター南里文雄という名前は私も聞いたことがある。
なんせ戦争中のこと、ダンスホールが閉鎖されれば敵国の音楽は空白の時代に。戦後華やかなりし進駐軍兵隊の娯楽として各地キャンプをまわるようになった。
たばこ、コカ・コーラなど持ち帰ることができるようになったとか。しかしいったいどうやってジャズを勉強したのか(ぶっつけ本番のはずだもの)今でも不思議に思っている。
・・・
軍のバンドと言えば大人数、つまりはビッグバンドオーケストラなんだわね、それで映画に出てくるような空軍バンドや陸軍バンド“~アーミーホーセス”とか“グレンミラー楽団”とかがかっこいい制服でバーンと登場するのだ。
ダンスのため、大人数で大迫力で葉巻をくゆらしながら、バーボン飲みながら-----ああシーンが見えてきちゃった。フル編成で来るからフルバンド。そこには若干の人数の違いがある。
これは今だから言えることだが、通常4人のところが3人だったりするので普通はビッグバンドと言っている。フル編成だと豪華だし、迫力も違う、久しぶりに小さめのホールで聴きたいものだ。
フルとなるとペットが4人、ウインズ5人、ボーン4人、リズム4人、
ペットが5人いたりするときもあるし、それはにぎやか。
ピアノなど、場所が狭いとアップライトだ。
・・・
しばしばポップスとジャズの境目や戦前と戦後のジャズについて聞かれることがある。ここいらについて語れる“生き字引“もほとんどいなくなって、戦争中の日本のジャズがどうやって生きのびてきたか、あるいは戦争がなかったらどこまで発展していたものか、私自身とても興味があるところである。
ジャズだけでなく、オペラにしろラテンにしろ、お互いの影響がどんなスピードで伝播し、あるいはまったく新しい音楽がうまれていた、なんてこともあったかもしれない。実際現代音楽も今あるような形ではなく、そもそもの昔の形を残さない今の混沌から、宇宙へ向けて見事な曲線の描く輝きさえある音楽が生まれているのではないかと思うのである。言葉も民族もなくなっていて、その意味では宇宙的には、いや、地球的には今が一番面白い時代かもしれない
・・・
コロナのおかげでいろいろなことが変わろうとしている、命にかかわることは改善されてくれないと困るが,話題には上っても「ま、また今度~」で終わっていることがたくさんあるのだろうな----とひそかに思っている。何十年も前から言っているのだが、学校の受験シーズンのこと、入学の時期、私はどうして9月新学期にしないのかとずっと言っている。これを機会に大々的にあっちもこっちも変わるのだから、一緒に変えればいいのに-------イキイキ夏休みと準備------良いと思うけどなあ。
・・・