​日々思う

初期のホームページ、それは盛りだくさんで記事を載せる方も楽しかったものだ、

時と共に次第にみんなの関心の的がズレてゆき、私自身も報告するような目新しい業界の動きもなくなって、そうこうしているうちに病をしょい込みページも休止となった。

今回3年ぶりに再開した。公の場やステージで会うことのなくなった皆さんたちと、これが唯一の交流の場であるといわれ、無精を決め込んでいてはいけないとスタッフを頼りにすこしずつ始めたのである。  

30年も経つとやはり環境は変わり、人々の感性も変わり、生活も変わる。

昔気づかなかったことも教えられることも多い。

時にはおしゃべりも聞いてほしくて・・・どうぞよろしく。  Yuri

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テレビじゃ音の良さは分からないしーと思っていたが、この間のこと、ドキッとさせられた。

思わず耳が釘付けになった。うちのテレビとは信じられず、辺りを見回してしまったものだ。

古い型で音量を上げているわけでもなく他にオーディオ機器なんかないし・・・

半信半疑でテレビに近寄ってみると、それは確かに番組から聞えていた。

“えぇっ、まさか?” はまさにその通り、家のテレビでかかっていた朝の番組だった。

後で名前を知ることになるのだが、弾き手が違うとこうも違うものかと、愕然とした。

座り込んで名前を見ると、弾いていたのはグールド.十年ほど前にも同様のことあり、やはりグールドだった。不思議。

フレーズの中にきっと自分とそっくり同じような心の動きが映し出されるのかもしれない、普通の音量で黙って聴いているだけで手は震え涙が止まらない。

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ちょっと冷たい“梅”の匂いから“ほんのり”の桜へそして甘い“桃”へ -------朝たのしめる季節感。

ところが体調不全で散歩をさぼってしまったため、沈丁花からいきなりハナミズキになってしまった。

もう「梅雨なのね」実感

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生徒さんで、いつも「もも」の香りのする音を聴かせてくれる人がいる。

どういうわけか桃じゃなくて「もも」なのだ。

前の生徒さんが「菖蒲」。

温度感と丸みなのかな?じぶんでもよくわからないが、同じ楽器を弾いてくれてもこれほどにいろいろな印象になるから楽しい、上手下手は問題外なのだ。

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「お腹が痛い」=自分のお腹、いや、お腹のどこが痛いのかわかりますよね?

これがみんなに共通することではないようなのだ。母の場合、歳のせいでうまく説明できないのだろうと思っていた。どこ?と尋ねても「この辺全体」としか返ってこない、いやいや、そんなはずはない。

めったにお腹が痛くなったことがない人、あるいはいつもお腹は張っているものだと思っているひと、かれらはどこがどうであれ、お腹はお腹、お腹が痛いのだ。

母の言う“お腹が痛い“は”一升瓶ぶら下げた陶器のタヌキ置物のごとく張り切ったお腹全体をさしていたらしい。検査にいって便秘なんて診断は聞きたくない、もっと大変なことが起きているにちがいないのだから。肝臓に何やら小さいのがいくつか腫瘍があります。ゲッ!

夜中に胸が痛いと言えば心電図とって、だいじょうぶですよ。痛いの何とかしてください、といっても医者は圧迫骨折による腰痛ですから~~~転院を考えたら、急にはダメで主治医の紙がいるんだそうで、一度退院なさってからでないと、と止められる始末。何も食べられない状態で2週間、それでも内科へ移ることも許されず、あああ、2日でさよなら。

また腹が立ってきた!! 

でもこれももし本人が正確に病状を伝えられたなら、また別の検査なり治療へと勧められたのではないかと残念で仕方がない。

母に文句を言いたくなった。「自分の体なのにどこが痛いかなぜ言えないの?!」

「おなか・・・」

早く退院しろばかリ何回も繰り返し言って最後は内科の医者と整形外科の医者ふたりして、結局母を栄養失調で追いやった!

 あれで医者信頼度は一気に失った私。

そして自分の体調には自身で事細かに気を付ける必要性を感じた。

「おなか」ったっていろいろあるのだから。

おかげで今は、胃なのか十二指腸なのか腸なのか、肝臓なのか、そして神経なのかわかるようになった、臓器はわからないが消化器なのか神経なのか骨なのかくらいは痛みの違いでわかる、

こういう状態でこうするとこう痛むくらいは自分で申告できないと検査結果の数字では無理!

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“医者には掛かり方がある“と考えるようになったのはそんなこんなの十数年前。

具合が悪いと言えばちゃんと診てくれて適切な治療を受けられるものだとこどもの頃ば思い込んでいた。

患者の側の申告の仕方にも知識が必要だ、ということ。こどもなんてどうすればいい?親次第?

アレルギーだってそりゃいろいろあるのだから、いつ何をどのくらい食べて~いつから熱だして~どんな薬を飲んで~~私もけっして健康ではないから、医者へかかる前にはそれまでの状態を思い出しメモした紙を持参するようになった。

 

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うちにはあまりものの薬が大量にある。

最近、“余ったものはお戻しください”と書いてあるのを見るが、どうも意味がよくわからない。

代わりに廃棄してくれるという意味なのか、期限によってはまだ使えるものは使う、

ということなのか、

買い取るわけはないから----- 危険だからお戻しください?

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ダメでしょ!お薬ガラ向いたまま置いといちゃ。ばい菌つくよ!???

 

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長年の治療や検査のせいでけっこう血管が硬くなっている、

採決も簡単には行かない。2回は必ず「ごめんなさ~い」と看護師さん。

彼女が悪いのではなくこっちの血管が欠陥なのだ。

ある時慣れているはずの自分が思わず声を上げた。

ほんとうに“ぶすっ“って音がしたのだから。

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画家が女性を描くとき、思いが絵筆ひと刷けに現れているように見える。こと音楽となると、はてさて? 表面的なことよりも性格が表れるように思うのだが。ベートーベンの「エリーゼのために」はどんなエリーゼに弾かせたかったのだろう?なんとなくの印象だが、たくさんの子供らしさが見えてくる。

裕福に育ったゆえのわがまま、怒りっぽさ、そして甘えん坊なところ。優雅で女性らしいイメージはない。

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久しぶりに心震えた、というより吸い込まれて行ってしまった。

バチカンからの映像「ピエタ」。写真では絶対わからないその像のすごさ。ミケランジェロ。キラキラ輝く大理石に刻まれたマリアとイエス。美しいとしか言いようのないその像は私の眼を画面にくぎ付けにした

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“ピアノ大好き、でもオーケストラの方がもっと好き私の“本音”はここにある。

ポップスの仕事でもオケとのお仕事は結構あって楽しかったものだ。

ずっと遠ざけていたピアノ、そろそろ復帰せねば。

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ドレミは意外に簡単に弾ける。ミレドもね、あと小指も使いやすいわね。

この間ヨーロッパのピアニストの演奏DVDみてたら、速い動きはほとんどこの指使ってた。

うまくかえして すぐまたドレミ、上がっていったかと思ったらソミレドの繰り返しだ。

ふ~むmmmこういう人もいるんだ-------

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駆け出しの頃、スイと横へ滑らせればすぐ半音転調できるギターがうらやましかった。

何しろ弾くのがピアノ曲でない場合の方が多いので、イやなキイばかり出てくる。

DやA、歌が絡んでくるとD♭やA♭。どうせならもう半音ずらしてくれりゃいいのに!

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不思議なものでギターと共演が多くなるとシャープキイの方が明るくて気持ちよくなってくる。

フラット系キイが弾きにくくなっていることに気づく。

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♭たくさんのキイは大概の人が避けるか、苦手だという。

いつもみんなに「慣れよ慣れ!」と言っている。

どうして♭キイがそれほど苦手なのだろう?あんなに上手に「猫ふんじゃった」は弾けるのに。

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「なんでもドレミで弾いてボタン一つでキイが変わればいいのに----」

「何をバカな!何処でもドアじゃないんだからね」

現代の子供は、こんなことをこともなげに言ってのける。

音感ってどこへ行ってしまっているのだろう?

だいいち気持ち悪くて弾けたもんじゃない

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 もう年末・・・

もっともここ数年何も祝った記憶がないまま過ぎていますが。

体調不良の上に世の中はコロナ騒ぎ、知人友人のほとんどと会えないままの日々は寂しいものです。

 いつまで続くのか見通しも立たず、演奏もレッスンも中途でブレイクしっぱなし。

ご迷惑をかけた方もいらっしゃると思いますが、せめて自習はおうちで続けていていただきたいと、サイトにピアノトレーニングをUpしたわけです。

「アットエリーゼ」のサイトで探してみてください。

皆さんなりにポイントを見つけてトレーニングを。短いですが効果的なエキササイズにしてありますので活用してください。

来年が少しでも良い年になるよう祈っています。

                                     田代  

 

 

 

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小さい子ってどうしてあんなとこで息継ぎするのだろう?

「みなさんこんにち^わ」

おまけに最後の「わ」にアクセントが付く。

きっと、「わ」を言う時にはもう次の言葉を思い浮かべているんだわ。

みんなあんなだったんでしょうね~  

 

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“藍色”というきれいな色がある。深い色から薄いものまで染まり方で全然違う。“ブルー“というのとはちょっと違う色であることを外国の人はわかるのだろうか?

夏の太平洋-----タヒチへ行こうものなら波打ち際から沖まで何種類ものブルーが縞をなしてみられる。沖の方はもちろん色が濃くその深さがわかるが、手前の薄緑色の混ざったようなエメラルドグリーンのほうにひかれてしまう。遠くの深いブルーはやはり深いブルーで藍色とは言えない。

藍色は日本独自の色と聞く。“会いたいね”の最後のハガキから約1年“藍色”を教えてくれた永六輔さん。藍染の工場へ連れて行ってくれてものすごい色の液につかった布を見せてくれた。竿のようなものでその重い布の塊をねじ絞る、何回もの染めの挙句バーッと干す。仕上がりの色からは想像できないようなどす黒い色、あれがあのようにきれいに染まる。色むらがまたたまらない。

永さんはよく藍の肌着、武道着をお召で小物色の布のバッグまでもっていらした。

青い色と言えば忘れもしない佐渡フェリーにのって佐渡金山へも連れて行っていただいた。何かの催しで当然私はピアノを弾いたはずなのだが、そこは憶えていない。佐渡フェリーのかんぱんで寝転がってたのも気持ちよかったが、上陸後佐渡の鬼太鼓座の公演には胸打たれた。若者たちが立ち回るすごい迫力の和太鼓集団。まだ東京には和太鼓のグループなど知られていない頃の話だ。それからは倉敷の天領太鼓も見に行った。思えばいろいろな勉強をさせていただいていたのだ。感謝!!

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町の野草も色を増し、歩道にも公演にも潤いが感じられる季節。この緑と苔の緑はたまらなくこの乾いた胸をしっとりさせてくれる。

雨上がりの朝も何やらうれしい気分。

京都にお住まいの方がうらやましい、西芳寺苔寺へいきたくなるから。

ビロードのような冷たい苔の絨毯、もしかしたらカラフルな花花より美しい。

見つけてしまったのだ、家のちかくで。苔の販売をしているお店を。

それはみずみずしい、なんとかという種類の苔なのだが高かったがめげずにgetしてきた。

これも大好きなハリネズミの器に入れてお背中もっこり、ただ眺めるるだけでウフフ------

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そうこうしているうちに梅雨がやって来る、苔むす庭の湿気と梅雨の湿気はまったくちがう。

苔の方は、ちょうどいい感じの冷え具合。

苔がクールな呼吸をしている感じで、パックされているみたいだ。

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カサッ、深夜軽くて乾燥した音がすると、あ、家のハナミズキだ、となる。

年々咲くのも早いが枯れ始めるのが早い。イチョウや大きな葉はそんなに早く枯れはしない。

先を競って枯れてゆくようなこのカサッは寂しい。

 

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フランネルのシャツやバルキー編みのセーターを着る機会がなくなって、今年もまたタンスから出てくることはないのだろうか?と思う。次には、内側に毛皮を張ったブーツなんてのが出てきて、なつかしいようで、でも処分するべきなような気もして?玄関先で座り込む。

「何してるの?」声が飛んでくる

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指の選択=使い方=でずいぶん表情は変わる。

ちょっとした飾りの16分や32分音符、どうやってこなしているのかタイヘン興味がある。

ひとこと「こっちにしたら?」で全く温度感が変わる。

3からはじめるからいけないので、4からにしたほうがずっと美しい。

本人も「ああ----」納得したようだ。

 

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ほわっと優しい音で弾いてくれる人がいる。

急に私はリクエストしたくなった。

「ほかの弾いてくれる?」「バッハじゃなくて」

何を急に、と生徒さんはめんくらっていたみたいだが、正解。

この人はバッハ弾かない方がいい、と思ってしまったのだ。

もしバッハを続けたいとしたら、ん~、全く別の数独でも読んで、少し頭を切り替えてからの方がよさそう。表現に一方向しかないというのはもったいない。

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チャイコを弾いたあとにいきなりjazzを聴かされて、目が覚めた。

思わず口をついて出たのが

「ずいぶんとちがったじゃない!?」

うっとりからジャイブされたようなものでついて行けなかった。

音を間違えたという意味ではない。

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ピアノで中級くらいになると左手がモノを言うようになる、右手ももちろん細かい動きが出てきたりはするが、何といっても左手の動きが“深さ”“幅“を広げてくれる。「どうしてもここが・・・」

毎回同じ言葉が口をついて出てくる。そこには“どうしましょ?”の問いかけが含まれている。

テクニック的にはけして手の出ないような難しいフレーズではない。よ~く見ていると不精をするがために手の返しができていないのがわかる。憶えていないのもわかる。だれだって、動きの難しいところなど譜面に目が行っていては手はミスる。不安は分かるが。それではいつまでたってもクリアできない。

大人だし自ら気が付いているだろうと黙って見ているが、3か月経っても変わらないなので、言った。

「憶えてないでしょ!そりゃあ無理ってもんです。」

次のレッスン、そこだけはクリアできるようになっていた。同様の難所はほかにもあるが、そこはまだ崖の上。いつ転げ落ちてもおかしくない。

「ほら、できるじゃない。」

「はい、ここだけは何とか覚えたんで」

はてさて、まだ先は長いか-------  ?

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クラシックよりポップジャズの方がラフな書き方をすることが多いがそれでもかなりの範囲ルールはある。アーと言おうがエーと言おうが前後の判断でAかEかの区別はつく、暗黙の了解というのもある。異名同音などは説明に困ることが多い。もともと18世紀にはなかったであろう半音進行から生まれた問題、平均律(が生まれる前中心音に対して数学的に比率を調整しなければ、調和の取れた音になどならないので妥協的に行われた)のおかげでオクターブの12音すべての音が主音として使われるようになった。「調子っぱずれ」なぞ確かにある当たり前の音程と言える。チターという楽器の音を聴く=音それぞれを正しい比率で高さを選んでゆくと調子っぱずれにしかならない。あれだけたくさんの弦になってはじめて半音、またその半音などのようにふしぎな音階が生まれるのだろう。ポップでの臨時記号は横の流れがわかりやすいように、あるいは調性がわかりやすいように、と考えて臨時記号を選んでいる。管弦楽における話は往々にしてピアノとイコールではない

 

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いつも話だけはしているのだが仲間内でシューマンを弾く人が少ない。

とくにツエルニーくらいのスタディ段階でシューマンをやっているとはあまり聞かない

内声部に現れるポリフォ二ー的響きは美しく、伴奏部が静かに和音を呈しているといったつくりはあまり見えない。ポップやジャズのサウンドは既にここにあると思う。

 

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ピアノって打楽器というより弦楽器のような気がするのは私くらいなものなのか?

ツエルニーは皆が通る道だった。モーツアルトも。シューマンは?そしてみんなの嫌いなハノン。

時代の動きを反映しているブルグミュラー的な曲集としては、バーナムやギロックもあるが、やはり打楽器的に思ってしまう。縦割りでないいくつもの船が横に流れているものを学びたいと思うのだが。

無いなら、えい!書いてしまえっ。

 

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アタマが、音感が鈍ってくると、ちょっとでも違うピッチの楽器の音が気持ち悪く低く聞こえる。

アタマの中での反響が澄んだ音にならず、アンバランスに聞こえる。

 

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ショパンはポーランドというよりフランス、イタリアの臭いが強い。フランスにいて当時のイタリア的歌唱法の影響を受けているのは作品でもよくわかる。叙情的で陶酔させるような手法を、フランスで熱狂的に受け入れられていたベル・カント手法を、とりいれたのだろう、そこここにそのスタイルが見られる。

全くのソロでの表現は気持ちよい。おそらくバイオリニストがカデンツアを朗々と弾く気分と似ているのではなかろうか?

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東京都のマークのイチョウ

まだうすら寒い時からちらと硬い幹に顔を出すのがかわいくて。

ちゃんともミニいちょう!

ちっちゃいの、そして目に触れる高さなの、双葉がクチャっと寄り添ってるの

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人は犬好き猫好きというのがあって、ここの話になると実に盛り上がる。

海族と山族。甘党と辛党みたいなものか?しかしこれは基本的にそうちがいはないわけで。極端な例は一例しかしらない。御呼ばれしたおうちのペルシャにいきなり足をガブっとやられた件。

ふくらはぎを両手で挟んで=結構出血した。全く無関心でいたのにいきなり、である。

飼い主は絵にかいたような「この子こそ我が命」、タオルくれてあとは普通。

ガーゼ包帯薬何も出てこなかった。脚をたたむといったって椅子かけだし、奴はテーブルの下をウロウロのそのそ、こっちのすきを窺っている。

逃げ回って早々に失礼したが、犬でそういう体験はない。

猫もかわいいのだが子猫のうちで、すぐシャーっとはじまる。もう身震い。嫌われているのかな?

はりねずみカフェへ行ったことがある。一人では勇気がないので友人を誘って。

いやこれもかわいいのなんの、背中の針はそれほど痛いものではない貝殻のようなものだ。殻に潜っちゃって体全部隠れるのも面白いが、そこからのぞく4本の手足がミニもミニ!

鶏の軟骨のように透明感があってより細くて指があってうひゃかわいい!

抱いてみたりして10分くらい遊んだか?顔は鼻がチョンと丸くて黒目が円ら。

印象に残ったのはやはり手足。さわり心地はゴム、細い指がくすぐったい。

で、どうしたかというと、もちろん買ったりせず出てきたのだが、二人して究極的にあまりきもち

いいものではないという結論に至った。

 

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ああもう夏も終わりの様子。雲がそう告げている

それもいつもと違う、もう秋ってこないのだろうかと思うほど短い感じ。

雲があまり高くない、透けていない、バックの青がきれいじゃない

いい日があっても、秋の空気を食べたいと思うような日は続かないのがさみしい。

                     ・・・

バスにゴールデンが乗ってきた。あやや・・・真ん中へ何のためらいもなくドスンと座った。

ちょっと驚きながらも盲導犬だとわかる。飼い主の一言「ほれ」が聞こえたからだ。

どすん!大きな犬、きれい!、毛並みも整えられていて---電車の駅で、スーパーで、あちこちで盲導犬は見かけるのでそう珍しい体験ではない。ただいつも思うのだ、その瞳のきれいさに、この子は今何を思っているのだろう?---------と。

真っ黒な瞳は濡れている。心なしかさみしそうである。そしてその動きはこまやかで飼い主の気持ちに沿おうとしているのがわかる。抱きしめたくなるのを必死で我慢。自然に頬が緩んでくる。嬉しい経験をさせてくれた嬉しい思いである

飼い主がどんな人だったかは大概の場合覚えていない。

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時々しゃべりなれない言葉が口をついて出ると「〇×△&%・・・」どんでもないことを言っていることがある。

自分だけわかっている「あれよあれ!」なんだが、どうにもちゃんと言えない。

言われた方は「何?なによそれ?」「何言ってんの」

私は「だから、ん~ほれ、あれ、何たっけあれ、だからあれよ!」

どうしようもない時はここでカット!こちらは収まりがつかなくで、ぶすぶすくすぶったまま。

わかってるんだ、私がそうなるのはちゃんと道筋があるのでただ迷子になっているのではないことを。

その道を相手が推察してくれるとうまいコト答えと出会う。

まえにかいたこの名前だって、私は一生懸命思い出そうとして、いいとこまで来ていてから躓いたのだ。

「こんすたんちん」×「コンスタンプル」x「こんりんざい」x  

正解は「こんしんねん」

役者の名前などひどいものだ。

「ジョン・ジャック・ヒューズ・ウエスタン 」x 「ジョン・ジャック・バロウズ」x

正解は「・・・・・・・」

共通点は意味合いではなく音に吸い寄せられていること。ドンが来たらその次は4音。ジョンの場合そのあとは3~4音、スティーブなら次は「2音か3プラス4音」

あめりあじゃなくて------------この調子だから。映画の話は特に俳優の話はできない。

さいこうだったのが=「あの何とかっていう映画でさ、何とかっつう俳優が、山のどこかで上から来たなんかにやられちゃうヤツ、なんだっけ?」

                     ・・・

 

「東大生クイズ」 

信じられないあのひらめき。宇宙から一点めがけてズームアップかけ、さあここはどこの世界遺産でしょう?だって。これがアフリカであろうとイタリアであろうと一発正解なのだから「!!!!」

                     ・・・

 

珍しく私の帰りを待っていたかのように、

「今日はユリさんに謝らなくちゃいけないことがあって」と神妙な様子をしているからなんだろうと思ったら、車庫入れの時に私の車をこすったらしいのだ。

どうしたのと聞いてもちょっと他へ気をとられてて-----てな程度。

「これは謝らないといけないと思って----」

「だってチョコっとすったくらいなんじゃないの?直しに出さないとまずいの?」

「いや、それが-----」

なんだか煮え切らなくて、でも「どれどれ?見に行くわ」っていうのも感じ悪いし、

「まあしようがないわね」と嫌そうなトーンで言った。だって謝らないんだもの。

スンマセンのひとこと、あるいはごめんなさいがあるかとおもうでしょ?

最後まで言いませんでしたね。

「謝らなくてはいけないことをしでかした」意識だけはあるのだろうけど、ヒトにごめんなさいを言えない人なのね、この人は。

あとから車の傷を見に行ったらバンパーは外れかけ、ライトは欠け大変なことになっていた。

これはきちんと謝ってもらうのが筋でしょ!

しかたがない、なるべく安く直してもらおうと車屋さんに交渉する=私が電話して。

7万くらいで済ませてもらったが、支払いは=当然私

なんなのこれ?!

                     ・・・

 

大人になって、いやトシとってから初めてバスで席を譲ってもらった、うれしかった!

でもちょっぴり恥ずかしかった。

その後会った友達に「ねえねえ、きょう席譲ってもらっちゃったの!」報告した。

思ってもいなかったことで、家へ帰ってからは、もう自分がそういうトシになったと周りには見えてるのよね、とちょっぴり寂しくなった・・・

                     ・・・

この間初めての体験をした。今昼なのか夜なのかわからない・・・

自分はどうしてしまったんだろう?結構ドキッとするものだ。

薬のせいなのだと思う、でなけりゃトシのせいだわいな。

疑いもせずもう朝だと思って起きだしたのに、夜中の3時だった!何度時計を見ても同じ。それでも信じられなくてテレビをつけたが何ら変化は起きず、しかたなくお茶にした。

 

                     ・・・

何をして外出しないで済ませるかの話が多い。

体操選手は部屋の中で簡単な運動を紹介し、手芸や絵画や一人でできるあらゆることを運動に結び付け、退屈しないで日々をどう暮らしてゆくのだろうというアイデアがあちこちから寄せられている。

私は思っている。

1ピアノを弾く   2作曲をする   3階段4段の上り下りをする

外出は必要だ。なるべく家の周りの人のいないところで荷物を持たずに歩く。車で公園まで乗り付けて公園の中は20分2周歩いてまっすぐ帰る。とにかく食料品の買い物に行ってもぶらぶらしない、キャベツを買ったらそれだけでコロッケは買わずに帰るのだ。

 

                     ・・・

昔を知らない人たちは驚くかもしれない。私は大のスポーツ好きで苦手なものと言えば組み合うものくらい。ルールなどわからなくても好きなものは好きなのである。

健康であったなら6月末からプール。それまでは陸上障害物など。スカッシュもバスケも大好き。走るだけのスピード競技は私にとって遊びの要素がないからだめ-------っと極端だが動いていたいタイプ。

こういう人間が外出禁止じゃない自粛要請なんて冗談じゃない!ということになる。

今?エッセイ書いてるさ。確実に足は弱っているとわかる。

                     ・・・

姿の見えない相手に何をしたらよいのか、どこへ何をどうやって-----何と戦うのか?

息すらしてはいけない中で、何を伝えられるのか?

                     ・・・

自粛要請=一番難しく、しかも矛盾したことをトップが言ったことにびっくりした。

時代錯誤と言われようが、社会主義と言われようが、やるときはやる、自由がないという意味ではないと思った。私のようなものは身軽で無責任でいられる立場だからだ。

“ダメはダメ“がないと、ほんの少しでも虫の卵が残っていれば次の”ぶりかえし”はわかりきったこと。殺虫剤ができるのだろうか?何かにつけて思うのだが、菌や虫は少しずつ強力になり、長寿の動物が減ってきていたり、木自体の寿命というのもあるようでイチョウのように中から腐っていってしまったり、人間もそろそろ自分の作った薬でダメになる時期がそこまできているようなきがしてしかたがない。

                     ・・・

夏も冬もエアコンに頼り切り快適に過ごせるようになってありがたい。昔は炭をおこして火鉢に入れて、こたつ-----お湯が沸くまではずいぶんと時間がかかって-------が冬の朝の仕事だった。

梅雨時もエアコンがあって冬の早朝出勤はホッカイロをおともに。

電気がなくなってホッカイロがなくなったら私は生きていけない。

                     ・・・

ある時小学生がピアノを習いに来た。

熱心なお母さんで、「この子は耳が良いらしくて反応がすごいんですよ」「うちにはバッハもショパンもいわゆる名盤といわれるCDをたくさん揃えてるんですよ」

「・・・」

「好きなの?」

「まあね」 

ここでびっくりしたが、「どういうとこがすきなの?」ときいたら

「有名だもん」

もともと私は成長期の子供を教えたくはなかったし、“大きいやかんは湧きが遅い”っていうし-----

丁重にお断り。お帰りを願った。

 

                     ・・・

うちの子運動系がダメなのでピアノかオルガンかやらせたいと思ってるんだけど・・・

どうしてオルガンが登場するのか珍しいと思って尋ねたら、

家にあるのよ昔私がやってたの。と言うから

ピアノにしといたら?で済ませた。

どのくらい昔だか知らないが、楽器はエレクトーンらしいし、“だいいち脚もぶらぶらのうちにやらなくたっていいじゃない”と腹のうちで思いつつ、「ピアノの方が体つくりにいいわよ」と言っておいた。実際の話。

 

                     ・・・

市原悦子さん。亡くなってしまったが、すごい役者である。

お会いしたことは2回。撮影中の役者通し(一応)と楽屋代わりのホテルの一室。

何を感じたかよく覚えていないくらい空気みたいな存在だった。

お一人で本読みをしていらしたと思う・

そもそも私が体調を崩したとき、本は目が疲れるからというので朗読集を頼んだ、それが「市原悦子の名作朗読集」だったのだ。何十年ぶりで私の近くへ来てくれた!気分。

芥川から漱石まで。期待をはるかにうわまわるできで失礼ながら驚いた。聴いているうちに深みを増し、映像が現れる・・・朗読の魅力ってこういうものか?

それが2回も聞かないうちに、なんと市原さんは病で亡くなってしまった---------

                     ・・・

すれ違いざまに“ちっちゃかいの”が足元にまとわりついてきた。

“かわいい”ポメだなこれ。

私はといえば時折“猫的ツンデレ”をみせる柴犬が好き。

たまらなくかわいい!ぶきっちょな甘え方や、弾力ある筋肉、鼻突合せで話ができそうな顔、

ああたまらない・・・んんん~思い出しちまった!

                     ・・・

 

「小犬のワルツ」の出のところ、いかにも小犬がくるくる回っているようで------

おなじ短いフレーズの繰り返しがちょこっと前奏に使われている。慣れ切った私は気分の方が先へ行ってしまって、その“チロチロ“を弾きだしたら止まらなくなっておそらく倍の長さは弾いたと思う

                     ・・・

コードネームってDoとか書かないんですか?                   

Lemin.なんてのもありますよ。イタリアの楽譜にはね。

                     ・・・

夏ミカンのおいしい季節!店先には黄色い大玉がごろごろ。

いつも思う。甘い順に名前を付けてくれないかなあ1・・・

                     ・・・

 

救急車が止まった!うちの斜め向かいだ。

隣のおじさんが出てきた、向かい3階のお兄ちゃんもベランダへ出てきた。バタンといって裏のおじさんが小走りに出てきた、doorをそお~っと開けてのぞいている女がいた。----私。

でも“どうそご無事で”ってお祈りしてるのよ-------

                     ・・・

夜中ヘンな時間に目が明くのが癖になって胃が文句を言うものだから、食パン半分トーストとミルクってのをやってたら、あっという間に1キロ増えた!残りの半分はもちろん朝5時半にいただいております。

                     ・・・

スラーはlegato奏を指示しているとは限らない。フレーズを表している場合だってある。

分からないときは声を出して歌ってみるのがいい。

忘れもしない中学の音楽の先生は専攻が声楽だったので教えるときは何につけ歌いこむこと歌いこむこと!♪ラリ~ラーリ~と胸を張って歌っていた。もちろんありがたいことでした。

                     ・・・

横須賀の街には誰が弾いてもいいピアノがおいてあるんですって!

                     ・・・

 

サビへ行くまでなんだかよくわからない「パプリカ」。

ヒットの訳は歌詞だけではなく“サウンド”が大きな役割を果たしている。

マイナーとメジャーがうまい具合に民族音楽的に聴かせる。

これを弾く人、コードを絶対間違えちゃいかんですぞ!

                     ・・・

 

高音が好まれる時代になって30年ほど、男性の歌にしても女性っぽく透明感のある声の歌手がモテている。フルート、バイオリン、みな高音楽器。

ミキサー(エンジニア)の耳までがそっち向きでベースが聞こえない。

リズムはと言えばドラムのシンバルばかりで、ジャズものなど、ベースを聴きたいと思ってもまず無理である。BGMにかかっているなんてことのないロックタッチの曲でも下が聞こえない。

ちゃんとベースの弦のしなりまで聞こえる昔の…もうLPは処分しちゃったしなぁ。

ところが外国人のバンドだとベースもちゃんと聞こえてくるから、おかしいと思いません?

あちらはエンジニアもスタッフとして連れてくるからだろう。ピアノソロだって実にクリアに聞こえる“バランス”という耳をもっているということだ。

                     ・・・

子供の頃、私はべートーベンが好きでなかった、かといってモーツァルトも。

真っ白髪のバッハがよかった。

                     ・・・

 

古い話ばかりで恐縮だが、もうひとつ、

妹が幼稚園へ上がる前の頃、「かもめの水兵さん」歌って、とリクエストするとうれしそうに歌ってくれた。“チーラリーラりったん チーラリーラりったん”かわいかった。

これは実はイントロである。

                     ・・・

 

黒鍵に抵抗を示す人がほとんど、という中で、黒鍵から始めると慣れるのが早いことに気が付いた

みんながみんなハ長調から始める必要はないのだから。

 

                     ・・・

名画「ひまわり」知っているようで知っていない。観たことはあるがどれだかわからない。

6枚もあるのだもの。が、実は7枚あったと知った。そのうちの1枚は日本にあって戦災で焼失されたそうだ。写真が残っていた。燃えるような色、花瓶から飛び出してきたようなひまわりーこの1枚を私は最も観たい!

                     ・・・

「フェイクした方が良いと思うけど」-きれいな演奏に感想を述べた。

「・・・?」の表情。

「そのままじゃなくて・・・」

でも演奏は変わらなかった。

“フェイク”は通じなかったのね。

トランプのせいだわ!あまりしょっちゅう“フェイクフェイク”ばっかり言うからー

                     ・・・

タヒチの海を独り占めした写真がある。青い、広い海にいるのは私だけ!

30年前の写真である。

モダンタヒチアンがかすかに聞こえ、あとは波の音と潮風の香ばかり。

当分平城山の気分には戻れなかったっけ・・・

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スマホ熱中症てのがあるそうで・・・

交替の寿命が短いのですぐまたかかる?やれやれいつになったら安心して外へ出られるのやら、

 

​                     ・・・

楽器に触る前は必ず手を洗う=弾き終わったら楽器をきちんと拭く!  

楽器の上って、猫も歩くのだから・・・

​                     ・・・

行きたかった!アンドレ・シフのコンサート

ベートーベン、オケと一緒でもあの美しいピアノの音色!

中止になってしまった。おそらく最後のチャンスだったろうに、

 

​                     ・・・

夏の朝朝露の臭いを嗅ぎながらの散歩は気持ちがいい、。

毎日すればいいのだが・・・・・・

​                     ・・・

     

音楽やっているとやれトニックだドミナンとだとならったりして、曲の終わりは大抵終止形でないといけないと思わされてきた。”何だかヘンなの“と漠然と思ったのはテレビの競馬中継。

競馬は各地でいろいろな冠レースがあり、それぞれそのテーマファンファーレがあるのだ。

トランペットが、これから始まるレースへの高揚感、あたるかもしれない期待感、「あたってくれ!」の願い、そして「さあ来るぞ来るぞ!」の思いがわずか20秒の間にもりあがる!そのあと出走まで無駄な時間はない。“各馬一斉にスタート!”ドドドドド-----

賭けてもいない私まで興奮する、なかなか素敵な瞬間である。あとは、ゴール直前の馬の競り合い。鼻ひとつ差が出るかどうか------んやはり興奮してきた。

直接体験したのは1回しかない。本番?とんでもない。JRAの表彰式パーティで棒を振っただけのこと。その気分に入りきれなかった意味で私は失格だな、と後で思った。なんとも不思議な曲で、それまでいろいろ体験してきたはずなのに、“ようわからん”-----------競馬は正直見たことなかったし、セレモニーなどあることすら知らなかったのだから。

音効的なものでも何でもだいたいキイがあってその中で終わっているものだったのがとんでもないところへ吹っ飛んで行って終わるのだから。今思うと面白いし、その意味も分かる。が、当時はタクトを落とさんばかりに驚いたものだった。

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鍵盤の上に覆いかぶさるようにして弾く人がいる、こういう人は歩くときも前かがみ、というか顎が少し前へ出る。日本人の場合特に両肩も前へ傾いでいる。

かと思うと反対に驚くほど姿勢の良い、背中に一枚板が入っているのではないかと思わせるような人がいたりする。自分は子供のころから猫背だから何も言えた立場ではないが、西洋人男性でちょうどいい肉付きのちょうどいい姿勢のピアニストっているんですよね。名前は出しませんけど。音楽はもちろんだがそのほれぼれする演奏姿!適度な揺れ、適度な表情の動きおおいかぶさるなんてことはなく、かといって天井を仰ぐこともしない、いやぁ素敵だわ---------だれだかわかるでしょ?

 

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心を込めて目いっぱい情感豊かに・・・なのでしょうか??

ピアノを抱き込むようにして弾くタイプの人。

音楽はともかく、ずっとそれじゃ肺がつぶれますぞ。

両肩をすぼめっぱなしの人。ずっとそれじゃ首と背中がメリメリになりますぞ。

こどものうちからそういう感情移入ポーズはぜひともしないように。

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大事な楽器ならピアノの中に鉛筆やら消しゴムを転がし入れないこと

​                     ・・・

 

鉛筆、いつから4Bが普通になったの?

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街の楽譜屋さんにスコア用紙って売ってないの?

打ち込む前に書いて歌ってごらんなさい

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“ 親切の臨時記号”っていつから付くのが当たり前になったの?

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黒鍵は5つで白より少ないのにどうして難しいの?

数の多さだけの問題ではなくて、そこにはスケールの重要性在り。

どのスケールもなめらかに経過してゆくにはどうしても黒鍵の音を必要とするのです。

人間の5本指のかたちは扇形に広がっているのでそのカーブに沿った弾き方をするのが自然。

白から黒へ上るより、黒から白へ落ちる方がラクでしょう。指順もそれを考えて組むと弾きやすく

なり黒の存在の意味がなっとくできるはずです。

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早いフレーズをかっこよく弾きたい

どうぞ弾いてください!かっこよくね。

トリラ―でもスケールでも美しくかろやかに。練習あるのみです。

それとは別に重厚な音、深い響きも出る様これも練習しましょう。

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よく耳にする“真ん中のド!”

鍵盤の真ん中にあるので?

少し前の話=切腹をする羽目になった。腸閉塞である。

本人はもちろん苦しいばかりで何もわからず切られていたわけだが、しばら~く経って傷跡を見てびっくり!ちゃんとお臍をクルリとよけた立て割りになっているのである。へえ~と感心していて友人に話すと、「俺なんか臍のど真ん中一刀のもとに断ち割られてるよ!」だって。

これって男と女の差?

ピアノはもちろん体の中心あたりの「ド」をさすのだが、“真ん中”と言われたからといって、ちょうどお臍のところへ「ド」がくるようにズリズリずれて座ろうとするこどもっているのよね。

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最近よく使われる言葉「タグ」

あれシャープじゃない!?

 

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一つの停留所に2本のバスが止まることになっているようだ。行き先が二つ書いてある、どちらでもいいからとそこで待つことにした。“遅いなあ・・・”なんと私の乗る方は一時間に1本のローカルペースだった。

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名前自体が美しい響きのする音ってある。レッスンの時などに、“あ、そこハ―ね”といわれるのと

“ビーね”と言われるのじゃ、同じ直されるのでも気分が違う。

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“いっちにいさんしー”というカウントでやってきた人はペダルも“いっち”で踏んでいる

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最近はやりの“リモートレッスン”なんだかロボットみたいで-----サウンドが

on line lesson ならまあ納得できるか-----

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コロナのせいで“おうちのピアニスト”はたくさん増えますね

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いつのまにか近所のお医者様の看板がなくなっていた。

直接の知り合いではないし関わりもない。しかしものすごく悲しい。

医者という大事な仕事をしてきた人がなぜ、どうしてしまったのだろう。

もちろん事情はいろいろあるのだろうけれど・・・悲しくなって、不覚にも道端で涙してしまった。

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近所に声楽家がいる。この人の練習しているところは見たことがない。声だけだ。

さてどんな顔になっているだろう? 佐藤しのぶさん島田裕子さんら女声との練習が多かったが、いかに体を使っているか、つまり体全体を共鳴箱にしているかがわかる。お腹は当然ながら背中、そして頬骨。頬骨をぐっと上げて、脳天に声をぶつけるのだそうだ。そして体全体に響かせる-----

ご近所さんも若いわりに深みのある声でけっして不快ではない。名のある人で高い声が出る人でも平べったくてキーンという声質の場合、どちらかというと逃げ出したくなる私。日本人の声そのものが決して奥行きのある丸い声ではないと私は思うのだが、ご近所さんもこれから歳を重ね、深みを増してゆき素晴らしい声楽家になることを願う。

 

 

ひょろりと細いからだにやはり細めの衣をまとった、というよりぶら下げた態の、およそ色気のない植物に目が行った。色がきれいでも。香りが良い訳でもない。植物は大好きだが、このテの木を買おうなんざ考えたこともなかった。背の高さ1mあるかないか。その名を  ?  チンとかいう。

重い鉢植えを必死で持ち帰ったのだから相当気に入ったということだ。

ポイントは“なよ腰”。スイとのびた幹が妙に色っぽくカーブしているのである。乾燥していて艶はない。オランウータンの髪の毛(じゃ悪いな)のごとく、長くて濃い緑の葉が上へ行くにしたがって重なっている。さっきもう一度調べた、名はコンシンネンだそうだ。

​                     ・・・

水道局から流れる最後尾の分岐点に珍しく立派な貫禄のカメがいた。

じっと日向ぼっこ、時折首をもたげて長い間岩の上にいた。スーッと水に入るかと思ったら、いきなりダイブ!ぼっちゃ~ん。びっくりするほど大きい訳ではないが。陽光に照らされて亀甲模様が美しかった。

​                     ・・・

 

最近の“モテ男”って、みんなかわいい女の子に見えるけど。

​                     ・・・

 

”弱い僕だから“とかいう歌が若者の間でヒット?

信じられない、男だろ?

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TVニュースに映るたくさんの歩く人、皆首から顎を突き出しているように見える。ちょいとしたゾンビだ。そうか、マスクのせいだ・・・

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ちまちま消毒して・・・相手はウイルス、こういうときは地球並みのバキューム宇宙船が出てきて一気にクリーンアップしなけりゃダメだわよ!

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朝窓を開けるようになったら、時折“ぐるるる、ぐるぐる”と聞こえてくる。1年ぶり。

なかなか穏やかな初夏の光景だわいな-----また来たのね-----ものまねカラスの仕業。

​                     ・・・

オクターヴが届くまで

・親指の先と小指の先が鍵盤に届くようになる

・両方で鍵盤を触れられるようになる

・第一関節で引っ掛けられるようになる

・何となく2音を鳴らせるようになる

・ゆっくりでなく上から打ち下ろすことで少しでも音がなるようにする

・はっきりと2音を鳴らすことができる-----------ここまでに成長する時間が要ります

・同時に親指と薬指で遠くまで届くよう練習

・完全にオクターヴ2音を同時に打鍵できるようになる

・焦らず毎日両手の開き具合に注意しながら練習を繰り返す

​                                                                    

​                     ・・・

手を開いて行く練習はアスリートのようなつもりで折に触れて務めることが必要。

デリケートな場所であるから、無理せずにゆっくりと努めること

手先だけに集中するのではなく首、肩 肘、背中 と順次和らげてほぐしてから行うこと。

肩など後ろへ神経を持って行くように。まえで固まっていてはいけない。

​                                                                    ・・・

                  

息を止めて力んで弾かないこと。これも体を壊します。  

おおらかに大きなうねりの中で弾いている感覚をもちましょう。

​                                                                    ・・・

機械的同じ速度ならスムースなアクセル・ブレーキも身につけましょう​。

​                                                                    ・・・

無理でない程度に大小の音の使い分けを練習する

ショック!パニック! 低域を生かして振動やうねり、そして広域のショック!

いつも同じ程度の音量で弾いていることに気が付かなくなっていることが多いです

自分の音量の幅を知ること。自由に使い分けができること

大きい音は出せても柔らかい小さい音が出ない、とよく言います。

​                                                                    ・・・

フレーズをひきながらこの調節ができることで、うねりや流れが演出できるようになります。

がんばりましょう。

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なつかしさにひかれて------はよくあるが、おかげで何度も失敗した。

その時代その時によって向こうもこっちも状況は違っているのだから同じ体験になろうはずがない。

昔味わった美の記憶が突如よみがえり新たな感激をよぶ!なんザめったにあることではない。

「文旦」がそれだ。近くで開かれた朝市で見つけ、ときめいて買ってきた。見てくれはあまり美しいとは言えないが、においといい独特の苦みと甘さは都市生活者にとってはたまらない魅力だ。

綿のようなか衣をはがしていよいよ薄皮を剥く段になるともうたまらない!

この薄皮と身離れが悪くて=プリっと向けるのは八朔やグレープフルーツ=そこら中汁が垂れて、手も顔もTシャツも汚してしまった。

ン、たしかに文旦だ。

おばあちゃんはこうして一袋ずつ丁寧に苦労して、お皿いっぱいむいてくれたんだ。

何十年前の話だろう・・・?

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日々耳にする言葉が怖さを増してくる[夜の街]

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「いいんじゃな~い?」

弾き終わるといつも必ずこう言うので有名な先生がいるそうだ

レッスンで先生に何を言われるか?びくびくしている生徒は多い。

これは今日の演奏を認めてもらえたかどうか?練習の成果の良しあしが評価される一瞬で、生徒にとっては緊張も緊張、そこにお母さんが一緒にいようものなら、胃が痛くなるようなときのはず。

「いいですね」あるいは「よくできました」の桜マークが欲しいところだ。

この良いとも悪いともつかない感想の言葉は罪作りだ。褒められたと受け取る人もあれば、どうせ評価に値しない程度なのだと受け止める人もいる。先生になんら「感」を与えていない単なる雑音でしかなかった、と言っているようなものだ。ならいっそのこと「特に何も感じなかった」と言った方が親切だと思いません?

 

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褒めて育てることこそ最良の道=勉強もおけいこも

さて、これはいかがなものでしょう?

褒められるのは気分がいいし、一層の励みにもなるでしょう。

いいところはどこか?なぜ褒められているか?が本人にわかるように褒めなくてはダメです。

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「打鍵のスピードがねえ~」と言ったら、

「え?叩いていいんで

 

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大人の、しかもピアノの先生が

両手ともしっかり同じ力で。力が違っちゃいけませんよ。特に左手は弱いんですから-----

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誰でもどこでも出かけられた頃、

駒澤のオリンピック競技場へでかけていって遊ぶことがたまにあった。

ジョギングに励む人サッカー、バスケ----アスリートたちがそれは楽しそうに汗を流していた。

私のようにただ散歩するだけでもいい運動になる。

テンポを決めて歩き始めると、あっという間にてくてく散歩とは10分近くの差が出た。

今は鳥の声を聴きながらのんびり木々の息吹の中に使っているという感じだ。

カサコソッ何かが遊んでいる。イノシシではない。リス、ここにもリスがいるのだ。

ロンドンのケンジントンパークを歩いていた時何匹ものリスに出会ったのを思い出した。

緑の中で自分も自然と一緒に遊んでいる感はたまらなく幸福だった。

あのスペイン広場も、モンマルトルの丘も、どこもかしこもすすけた廃墟みたいな今、リス達はどうしているのだろう・・・

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路肩と板塀の間のほんのわずかの隙間から毎年必ず顔を出す紫露草がいる。

塀の根本から窮屈そうに、それもたった一輪。

“おはよう!”

今年はいつもよりなんだか乾燥しているように思えるので、心配になりわざわざ向こう側へ渡って探してみた。うん、おんなじところにいたいた、まだそれとわかるような形にはなっていないが、鮮やかな紫色は少し離れたところからでもはっきり分かった。

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買い物にいった。なかった。

あれもこれもなかった。

ただでさえ弱いジャンル、スマホ。カメラ。マイク。

これだけ長い休みだとそりゃ皆あれもこれもやってみたくなりますわね。

昔のように塀を直したり、物干し台を改良したり庭いじりしたりというような時間の消費の仕方はなくなっている。

ホームバーコーナをもうけてみたり、家の中にスポーツジムを作ってみたり、お菓子コーナーでにわかパティシェがケーキつくっていたり---------、

私はヘッドセットを探しに行ったのだ。Nothing

5月のしかも長い連休なんて言ったらみなさんたくさんの計画があっただろうに、アウトドアの気持ちよさだってオリンピックへ向けての対戦だって、それはそれは若者にとってはたまらなくアクティヴだっただろう。考えることは同じなのだ、すがすがしい空気を吸いたい、カメラに収めたい。動けないものは孫の面倒見たり、お片付けに精を出したり、ほんとなんとも珍しいつまらないGWとなった。(2020)

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いとこが言ってきた。

オリンピックの年は大地震が起きるって。

このところ何回も揺られて・・・いやじゃいやじゃ、やめとくれ!

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誰でも歌い踊り、若い子たちはそこに生きがいを見出す=昔ではない、今の日本の若い子たちの話である。おとなが楽しむ場は劇場に出かけなくては得られない。テレビは90%こどものもの。

化学でも歴史でも音楽でも知りたい聴きたいものは山ほどあるのに。

 

​                                                                    ・・・

あっという間にハナミズキの花はパラパラと落ちみずみずしい緑が風に揺れている

晴れた朝、私の部屋の窓に映る大好きな光景。

ほんの10センチばかり窓を開けると前述のコンシンネンをさわさわと風が撫でてゆく。

実に幸せな風景である。若い時はなんたってワイキキだ。風の臭いも湿り気もちがうもの。

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母の時代、「~のブルース」という題名をよく耳にしたように思う。

漠然と、ブルースというのはゆっくりなテンポであちゃらの音楽のことをいうのだと思っていた。

成長してもなにか物憂い心持を歌うアメリカ人の曲のようだ、くらいしかわからなかった。

黒人霊歌も含みあらゆる歌や祈りに反映されたブルース、ロカビリー、ロック、

プレスリーもビートルズもここから、ゴスペルR&Bだって、ソウルミュージックも原点はみな祈り、ここブルースにある。その意味では邦題につくブルースはちょっとちがうような。

今われらが演奏する場合はブルーノートを含むアドリブフレーズによるリズムメインの演奏ナンバーを言うのだが。ジャズが日本へはいってきたのは明治から大正、社交ダンスブームの頃。トランぺッター南里文雄という名前は私も聞いたことがある。

なんせ戦争中のこと、ダンスホールが閉鎖されれば敵国の音楽は空白の時代に。戦後華やかなりし進駐軍兵隊の娯楽として各地キャンプをまわるようになった。

たばこ、コカ・コーラなど持ち帰ることができるようになったとか。しかしいったいどうやってジャズを勉強したのか(ぶっつけ本番のはずだもの)今でも不思議に思っている。

                     ・・・

軍のバンドと言えば大人数、つまりはビッグバンドオーケストラなんだわね、それで映画に出てくるような空軍バンドや陸軍バンド“~アーミーホーセス”とか“グレンミラー楽団”とかがかっこいい制服でバーンと登場するのだ。

ダンスのため、大人数で大迫力で葉巻をくゆらしながら、バーボン飲みながら-----ああシーンが見えてきちゃった。フル編成で来るからフルバンド。そこには若干の人数の違いがある。

これは今だから言えることだが、通常4人のところが3人だったりするので普通はビッグバンドと言っている。フル編成だと豪華だし、迫力も違う、久しぶりに小さめのホールで聴きたいものだ。

フルとなるとペットが4人、ウインズ5人、ボーン4人、リズム4人、

ペットが5人いたりするときもあるし、それはにぎやか。

ピアノなど、場所が狭いとアップライトだ。

                     ・・・

しばしばポップスとジャズの境目や戦前と戦後のジャズについて聞かれることがある。ここいらについて語れる“生き字引“もほとんどいなくなって、戦争中の日本のジャズがどうやって生きのびてきたか、あるいは戦争がなかったらどこまで発展していたものか、私自身とても興味があるところである。

ジャズだけでなく、オペラにしろラテンにしろ、お互いの影響がどんなスピードで伝播し、あるいはまったく新しい音楽がうまれていた、なんてこともあったかもしれない。実際現代音楽も今あるような形ではなく、そもそもの昔の形を残さない今の混沌から、宇宙へ向けて見事な曲線の描く輝きさえある音楽が生まれているのではないかと思うのである。言葉も民族もなくなっていて、その意味では宇宙的には、いや、地球的には今が一番面白い時代かもしれない

 

                     ・・・

ショパンという人ほどポピュラーピアノの達人はいないと思う。

喜劇も歌劇も観に行けなかった一般人にとって、ショパンが弾いてくれるそれらの歌、踊りの曲は大ヒット。みんなに愛され真の意味のポピュラーミュージックだったことだろう。

間違いなく耳コピ即興アレンジだったのだろうからすごい才能である。ショパンは、みんなが主人公になって愛されるべき歌を歌い踊り、演じる夢をかなえ、また美しいピアノ曲をたくさん残したのだからすごい。

                     ・・・

コロナのおかげでいろいろなことが変わろうとしている、命にかかわることは改善されてくれないと困るが,話題には上っても「ま、また今度~」で終わっていることがたくさんあるのだろうな----とひそかに思っている。何十年も前から言っているのだが、学校の受験シーズンのこと、入学の時期、私はどうして9月新学期にしないのかとずっと言っている。これを機会に大々的にあっちもこっちも変わるのだから、一緒に変えればいいのに-------イキイキ夏休みと準備------良いと思うけどなあ。

​                                                                    ・・・

                                  

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ご注意

このエッセイは、田代ユリが過去に現在に日々感じたままに綴ったものを管理人が公開しているものです。田代ユリの言葉ではありますが、田代ユリが直接公開しているものではありません。